2007 冬季審査会 -黒帯誕生-
12月16日、2007年最後となる審査会を行いました。
今回の受審者は初・中級帯が多く、上級帯はわずかとなりました。
しかし、今回の審査会には1年ぶりに昇段挑戦者が現れました。
太田道場N・Tです。
1年前のS・R同様、厳しい稽古を重ねてついにこの日を迎えました。
昇段申込書を彼に渡した時、
「Tもいよいよここまできたんだなぁ」と
感慨深くなったものです。
よく頑張ってきたなぁ・ここまでよく耐えたなぁ、と。
入門時からは想像もつかないほど逞しくなったT。
彼のここまでの道のりを追ってみたいと思います。
彼は私が以前指導していた道場で年中の時、入門してきました。
その頃、私は選手生活をしながら一般・少年と指導していたのですが、
今振り返ると自分の事で精一杯だったのか、道場生の入門時をあまり
覚えていませんでした。
しかし何故か、Tの事ははっきり覚えています。
坊主頭で入門してきたTは整列時、一緒に入門した子の真後ろに
たまたま並び、以来その並び順になったのですが、移動稽古の蹴りの時に
ニコニコしながら前の子のお尻を蹴りながら移動するのです。
何度もするので私が注意すると、プーッと頬を膨らませ顔を真っ赤にして
ちょっといじけるのです。
その内、当時私の指導補佐をしていたHさんという方が、
「おいっ、坊主!先生の言う事を聞け!」と叱るようになりました。
そう、その当時のTは年中らしくやんちゃ坊主だったのです。
Tは注意されても良い意味でへこたれないので、どちらかというと
下級帯担当だったHさんがよく面倒を見るようになり、気付くとHさんが
Tのことを、
『坊主』
と呼ぶようになり、いつしか私もTを坊主と呼ぶようになっていました。
しかし、私もHさんも叱りながらも面白い奴が入ってきた、とよく二人で
話したものです。
その後も坊主は天性の明るさで道場内を猿が駆け回るかのように
飛んで回るのでした。
元気一杯、まさにそんな感じでした。
Tに限らず、幼稚園生ならやんちゃ(といっても人には迷惑をかけませんが)
くらいが元気があって結構と今でも思います。
やんちゃ過ぎてか(笑)Tはオレンジ帯に上がるまで約1年くらい
かかったのではないでしょうか。
しかしそれはTが出来なかったとかではなく、
太田のSさん曰く、その頃の私は昇級させるのに
今の数倍厳しかったそうです。
(私は覚えていませんが・・・。子供のRも苦労したそうです)
Tがオレンジ帯を取得した直後、私の妻がたまたまとりせんでTと
会った事を覚えていました。
その時のTは妻を見つけると満面の笑みで走ってきて何も言わずに
指でオレンジ帯を差し、オレンジ帯に気付いた妻が
『T君、オレンジになったんだね、かっこいいじゃん』
と言うと、これまたニコニコッと笑い、どこかへ走り去ったと言っていました。
Tはオレンジ帯になった途端に稽古態度が180度変わりました。
私も数多くの少年部を指導してきましたが、その変化の度合いは
Tが一番だと思います。
それまでは稽古中ふざけることもあったり友達と話したりと
普通の幼年と同じだったのですが、オレンジ以降は全くと
言っていいくらい無くなりました。
凄まじい集中力を持って稽古し出したのです。
その頃、仕事でなかなか補佐に入れなかったHさんがたまに稽古に
来た時に
「最近坊主がいいんですよ。(動きが)」
と言ったのを覚えています。
Hさんも
『坊主がですか!?』
なんて驚いたり(笑)。
その後、Tは幼年部の中で一際輝き始めます。
群馬県大会で型でも組手でも好成績を残すのです。
丁度その頃、私とよくマンツーマンで稽古したこともありました。
15時頃に稽古時間が設定された日があったのですが、誰も来なく
Tだけが来る、ということがよくありました。
その頃のTは今の姿を想像させるような頑張りをすでに見せていました。
二人でミット打ちを延々1時間したり受けの稽古を徹底したり、
時にはマトリックス受けだ、と変わった事もしたりして
私にとっても楽しい時間でした。
そして年長の時、全日本大会に組手部門で初出場し、
ベスト16に入るのです。
これは当時の群馬県勢最高順位でした。
それからしばらくし、私は道場を辞め誠真会を立ち上げるのですが
退会してから誠真会の発足を決めた私は、自ら道場を立ち上げることを
誰にも話しませんでした。
ただ慌ただしく準備をしていく中で私の道場立ち上げをTは知ったらしく、
今の道場を辞め、私の所に行きたいとお父さん・お母さんであるNさんに
言ったそうです。
私もそうしたTの思いを言伝に聞き、Nさんを通してTに
『立ち上げたばかりだから大会も無いし道場生もいない。何もないから
その道場に留まった方がいいのではないか。』
と伝えてもらいました。
その頃のTは1年生でありながら群馬を代表する立派な道場生でしたから。
それでもTはNさんご夫妻にこう言ったそうです。
『トロフィーも賞状も一杯もらったからもういらない。それよりも僕は
佐藤先生と一緒に空手がしたい。』と・・・。
指導者にとってこの言葉がどれだけ嬉しく胸打たれることか・・・。
本当に道場も生徒も何もない時です。
私はTの言葉に勇気づけられたといっても過言ではありません。
また時を同じく、館林のK・Aも同様の理由で移って来てくれました。
平成17年1月8日、誠真会発足初稽古日。
参加者は少年部は息子のE、T、Aの3人。
たった3人からのスタートでした。
昇段審査でTが組手までたどり着き、持前の闘志と根性で9人目まで
来た時、相手はAでした。
二人が並んで立っているのを見たら急にその頃を思い出してしまい、
胸が詰まってしまいました。
君達2人がいてくれたからこうしてやってこれたんだ、と。
太田でも館林でも何ヵ月3人だけでやっていたことだろう・・・。
それでも君達は毎回笑顔で稽古場に現れてくれたよな。
何もなくても、誰もいなくても、文句一つ言わず一生懸命稽古してくれたね。
君達の笑顔に俺は本当に助けられた。
本当に、本当にありがとう。
坊主からいつしか本来の名前であるTへと呼び方が変わり、3年が経った。
そして今、目の前ではTが、あのやんちゃ坊主だったTがこんなにも
立派に成長して勇猛果敢に戦っている。
その前には今やすっかり大きく逞しくなったAがいる。
この2人の歩んできた道はそのまま誠真会が歩んできた道だ。
私は感無量だった。
その後、1年前からの暗黙の約束通りS・Rが10人目を相手し、
Tの昇段審査は終了した。
10人組手完遂!
誠真会に2人目の黒帯が誕生した。
Tの10人組手は真っ向勝負の組手でした。
ですが今の彼の組手はステップを使えるので、本当ならもっと楽に組手が
出来たはずなのです。
しかし、彼はそれをしませんでした。その組手を選択しませんでした。
いつでも真っ向勝負。
T、お前らしい10人組手だった。
よくここまで頑張ってきた。
だが、空手は初段というようにここからが本当の修行だ。
もう一度初心に帰って、これからまた一緒に精進していこう!
T、昇段おめでとう!!
押忍
コメント
昇段審査を見に行かせて頂きましたが、本当に感動しました。この感動の嵐はTVでスクールウォーズを見た以来だと思います。館長とT君との師弟関係には歯がたちません。胸が詰まる思いでビデオをまわしました。息子の中で目標となる選手がまた一人増えました。あの日のT君の組手を繰り返し見て練習しています。本当に昇段おめでとうございます。
Posted by: 渋川道場生の保護者 | 2008年01月22日 20:09
いつも、お世話になっております。この世に産声をあげてから数々の武勇伝があるT。「このままでは、ろくな大人にならない」と危惧している時に知人に紹介されたのが某団体の空手道場でした。入門してからもTのやんちゃぶりは凄まじく入門して一年が過ぎても白帯でした。後から入門してきた人達が、どんどん昇級していく中、親として不安があったものの空手に素人の私共が口を出せる訳も無く、ただ見守っているしかありませんでした。今にして思えば、この一年があるから今のTがあるのだと思います。
オレンジ帯を巻いたTの嬉しそうな笑顔。色帯になれたのが余程嬉しかったのでしょう、その日から幼稚園に行っている時、お風呂に入っている時以外は帯を巻いていました。そしてオレンジ帯以降、習慣となり茶帯の無線時までやっていました(笑)そんなTが昇段審査を受けられる事になり審査会まで病気・怪我をしない様にと気を使い当日は最後まで立っていられる様にと祈っておりました。
審査会当日Tの姿を見ながら色々な出来事が思い出されました。
道場内を走り回り耳を切り三針縫ったT。
スーパーサイヤ人になりたいと金髪になったT。
試合前、緊張のあまり必ず吐いていたT。
誠真会に入門し「先生を一人占め出来る」と喜んだT。
空手をやめたいと泣いたT。
この五年間、楽しい事、辛い事をたくさん経験してきた我が子が、今、目の前で自分の空手道を一生懸命にやっている・・・。もう一人の恩師であるS先生(幼稚園時代お世話になった)が見に来てくれていたのですが途中からS先生と一緒に涙が止まりませんでした。
昇段審査を館長はじめ保護者・道場生の方々の声援のお陰で最後までやり遂げる事ができ感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
Posted by: Tの保護者 | 2008年01月30日 10:24